
クローンはどこまでクローンであり続けられるのか。そんな問いに答える研究の記事を新聞で読みました。少し前の記事ではありますが、生命について考えされる研究で、読んでからずっと頭の片隅に残り続けています。
クローン、58世代目で限界 マウス、有害変異が蓄積か 山梨大など(2026年3月26日、日本経済新聞)
クローンマウスの限界は何を語るか 浮かび上がった有性生殖の意義(2026年4月26日、日本経済新聞)
記事によると、山梨大の若山照彦教授と若山清香准教授らの研究チームは、マウスを使って20年間、クローンからクローンを作る実験を続けました。オスのマウスから採取した体細胞の各を卵子に移植し、クローンマウスを作る。そのクローンから、また次のクローンを作る。そうして再クローニングを続けることで世代を重ねていく実験です。
その結果、と簡単に言ってしまうのがはばかれるほど長期間にわたる実験ですが、20年かけて到達したクローンは58世代!58世代目の再クローンマウスは生まれた翌日に死んでしまい、再クローニングはここで限界を迎えたといいます。
20年かけて1つの問いに向き合い続けた熱意に圧倒されます。「継続は力なり」とよく言いますが、20年続けるということは、そんな簡単な言葉で表せるものではありません。しかも相手は生き物です。それを何世代にもわたって観察するのは、ものすごい労力のいることだったであろうことは想像に難くありません。
再クローニングはどうして58世代で限界を迎えてしまったのでしょうか。記事によると、世代を重ねるにつれてゲノムの変異が増え、生存できないほどに蓄積したとみられるそうです。
世代を重ねると変異が増えるという単純は話ではありません。研究では、再クローンを続ける実験と並行して、変異が蓄積しやすいとされる近親交配を60世代繰り返す実験も行われました。こちらでは大規模な変異は見られなかったといいます。
有性生殖の意味
さらに興味深いのが、55世代目のクローンマウスを自然交配させた実験です。通常、自然交配させたマウスは1回の出産で10匹前後の子を産みますが、55世代目のクローンマウスではこれが約2匹まで減っていました。ところが、その子同士を自然交配させたところ、55世代目の孫が1回の出産で約7匹生まれたといいます。有性生殖によって生殖能力がある程度回復した可能性が示されました。
有性生殖は、多様性を生み出す仕組みとして語られることが多いと思います。私もどちらかといえば、そう理解していました。父と母から遺伝情報を受け継ぎ、組み換えが起こり、多様な個体が生まれる。環境変化に対応するための仕組みとしての有性生殖です。
でも、実験の結果からは、有性生殖の役割はそれだけではないのかもしれないなと思えてきます。蓄積した異常を次の世代で直す仕組みでもあるのではないか。単にコピーを繰り返すのではなく、いったん混ぜて、組み替え、整える。その過程に、生命の健全性を保つ意味があるのかもしれません。
山梨大の先生方は、この研究からいくつかの問いを立てています。
発生や生殖の仕組みには、思っていた以上の頑健性があるのではないか――。
有性生殖で解決できる異常の範囲はどこまでなのか――。
どの仕組みが破綻し、生まれてくる子の数が減ったのか――。
どれも、すぐに答えが出る問いではありません。でも、この問いが立つまでに20年の時間が必要だった、ということ自体に重みがあるなと感じます。
いまはAIの進歩が非常に速く、研究の進め方も大きく変わりつつあります。けれども、20年分の世代を実際に重ねたデータは、今のところ実験でしか得られません。良質なデータとは、単に大量にあるものではなく、生物が時間をかけて示した応答そのものでもあるのだろうなと教えてくれているように思います。
やはり、wetの実験は強い。古い言い方かもしれませんが、生命科学における実験は、単なる確認作業ではないのだと思います。実験をして初めて、問いそのものが立ち上がることがある。今回の研究は、まさにその例のように感じますし、それだけ良い研究なのだと思います。
生命が生命であり続けるために必要なもの
そしてこの記事を読んで、もう1つ思い出したものがあります。それは、森博嗣さんの小説「すべてがFになる」に続く「Wシリーズ」とその後継作「WWシリーズ」です。いま、ちょうどWWシリーズを読み進めています。
このシリーズでは、人工細胞による医療が進んだ近未来が描かれています。臓器が機能しなくなれば、人工細胞で臓器を作り、置き換える。体の細胞が次第に人工細胞へと入れ替わっていき、人は不老に近づいていく。一方で、その世界では子どもが生まれなくなっている、という設定で物語が進んでいきます。
作中では、子どもが生まれるためには「オリジナルの細胞」が重要だと考えられています。人工的に置き換えられた細胞ではなく、有性生殖によって生まれた人間が持つ細胞です。
今回の記事を読んだ瞬間、私はこの物語を真っ先に思い出しました。
生命を維持する技術が進むことと、生命を次の世代へつなぐことは、同じではないのかもしれません。老いを遅らせる、臓器を置き換える、体を修復し続ける、そうした技術はこれからますます進んでいくと思います。
でも、コピーし、修復し、置き換え続けることだけで、生命は本当に続いていくのか。
今回のクローンマウスの研究は、その問いに対する答を少し恐ろしい形で提示しているようにも感じました。58世代という時間の先に現れた限界は、単なる技術的な限界ではなく、生命が生命であり続けるために必要な何かを示しているのかもしれません。ただ、マウスの実験から人間の未来をそのまま語ることはできませんし、人工細胞や不老の話と直接つなげるのも、少し行き過ぎかもしれません。
それでも、生命はコピーだけでは続かなかったという事実は、生命について否応なく考えさせる重さを感じます。
※コラムの内容は個人の見解であり、所属企業を代表するものではありません。
| 黒坂宗久(くろさか・むねひさ)Ph.D.。アステラス製薬アドボカシー部所属。免疫学の分野で博士号を取得後、約10年間研究に従事(米国立がん研究所、産業技術総合研究所、国内製薬企業)した後、 Clarivate AnalyticsとEvaluateで約10年間、主に製薬企業に対して戦略策定や事業性評価に必要なビジネス分析(マーケット情報、売上予測、NPV、成功確率、開発コストなど)を提供。2023年6月から現職でアドボカシー活動に携わる。SNSなどでも積極的に発信を行っている。 X(Twitter):@munehisa_k note:https://note.com/kurosakalibrary LinkedIn:https://www.linkedin.com/in/mkurosaka/ |
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