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AIは老化標的を見つけられるか―マルチオミクス時代の創薬探索【ロンジェビティと創薬の話 #5】

更新日

増井慶太

前回は、mTOR阻害薬、メトホルミン、NAD+前駆体、GLP-1受容体作動薬といった既存の経路や薬剤の転用がロンジェビティ創薬の現実解になり得ることを概観しました。しかし、Hallmarks of Agingが示す老化メカニズムは多層的かつ相互に絡み合うものであり、従来型の「1標的・1疾患」アプローチでは捉えきれません。そこで期待されるのが、AIとマルチオミクスを組み合わせた統合的なターゲット探索です。今回は、この領域の最新動向と、ロンジェビティ創薬が直面する固有のデータ課題を整理します。

 

マルチオミクスが描く老化の全体像

老化は単一の分子経路で説明できる現象ではありません。▽ゲノミクス(DNA変異、テロメア短縮)▽エピゲノミクス(DNAメチル化パターンの変動)▽トランスクリプトミクス(遺伝子発現プロファイル)▽プロテオミクス(タンパク質の量的・質的変化)▽メタボロミクス(代謝産物プロファイル)——の複数の「オミクス層」を統合的に解析することで、臓器ごとの老化シグネチャーや個人間のばらつきが初めて可視化されます。

 

2025年1月に科学誌「Cell Genomics」に発表された大規模研究では、複数の臓器系にわたるマルチオミクスデータの統合解析により、臓器特異的な老化パターンが明らかになりました。同じ年に「Nature Medicine」に掲載されたGlobal Neurodegeneration Proteomics Consortiumの報告でも、プロテオミクスを軸としたマルチオミクスアプローチが神経変性疾患と老化に共通するバイオマーカーや創薬標的を同定する上で有効であることが示されています。

 

とりわけプロテオミクス領域で変革的なインパクトをもたらしているのが、米SomaLogic(現Standard BioTools)の「SomaScanアッセイ」です。SOMAmer(Slow Off-rate Modified Aptamer)と呼ばれる修飾核酸試薬を用いて、1検体の血漿からおよそ1万1000種のタンパク質を同時定量できるこのプラットフォームは、老化研究に飛躍的なスケーラビリティをもたらしました。2019年にNature Medicineに発表された報告では、SomaScanで測定した4263人の血漿プロテオームから373種の「プロテオミック・クロック」タンパク質が同定され、予測年齢が実年齢より若い人は認知・身体機能テストでも良好な成績を示しました。

 

DNAメチル化に基づくエピジェネティック・クロックは実年齢や死亡リスクとの相関を捉えるのに有効ですが、あくまで「エピゲノム上の変化」という間接的な指標にとどまります。一方、タンパク質は細胞内のシグナル伝達、酵素活性、構造維持を直接担う機能分子であり、エピゲノムからトランスクリプトームを経て最終的に翻訳された「機能のアウトプット」そのものです。

 

したがって、プロテオミック・クロックは臓器や細胞が実際にどのような機能状態にあるかを、エピジェネティック・クロックよりもはるかに直接的に反映し得ます。実際、近年の研究では、心臓プロテオミック・エイジングが加速した個体で心不全リスクが250%上昇すること、脳特異的な202種のタンパク質が認知機能低下をpTau-181と同等の精度で予測することなど、臓器特異的かつ機能的な老化評価においてプロテオミック・クロックの有用性が次々と実証されています。

 

【マルチオミクス統合によるロンジェビティターゲット探索】 〈データ入力(左側)〉ゲノミクス/エピゲノミクス/トランスクリプトミクス/プロテオミクス/メタボロミクス|〈AI統合プラットフォーム(中央)〉ディープラーニング/大規模言語モデル(LLM)/AlphaFold 3 / IsoDDE/シングルセル基盤モデル|〈解析・出力結果(右側)〉老化シグネチャー抽出:臓器横断的な老化パターンをマルチオミクスデータから同定/臓器特異的パターン解析:心臓・脳・肝臓など臓器別の老化進行度を定量評価/創薬標的候補スコアリング:Druggability、安全性、新規性をAIが統合スコアリング

 

こうしたマルチオミクスデータの爆発的増加を受け、AI(特にディープラーニングと大規模言語モデル=LLM)が不可欠なツールとなっています。単一のオミクスデータだけではノイズに埋もれてしまうシグナルも、複数層を重ね合わせることでロバストなターゲットとして浮かび上がってきます。

 

AI創薬企業のロンジェビティパイプライン

こうした統合アプローチを実際に創薬パイプラインに落とし込んでいる企業を見ていきます。

 

Insilico Medicine—AIが見出したセノモルフィック標的

AI創薬のフロントランナーである香港のInsilico Medicineは、自社AI基盤「Pharma.AI」を用いてTNIK(Traf2- and Nck-interacting kinase)阻害薬「INS018_055」(一般名・rentosertib)を創出。当初は特発性肺線維症(IPF)を対象に開発が進められ、中国でのP2a試験で肺機能改善を示す良好なデータを得ています。2025年には、同社のAIロボティクスラボが、TNIK阻害が強力なセノモルフィック(老化細胞の有害分泌を抑制する)作用を持つことを見出し、医学誌「Aging and Disease」に報告しました。老化線維芽細胞モデルでセネッセンスマーカーの顕著な低下が確認されており、IPF治療にとどまらないロンジェビティ創薬への応用が期待されます。

 

Isomorphic Labs—構造ベースの老化研究加速

Google DeepMind傘下の英Isomorphic Labsは、2025年4月に6億ドルの外部資金調達を行い、同社にとって初めてとなるAIが設計した医薬品のヒト臨床試験を準備中です。同社が共同開発したAlphaFold 3(2024年5月公開)は、タンパク質間相互作用や低分子との結合予測精度を飛躍的に向上させ、APOE(アポリポプロテインE)などの長寿関連タンパク質の構造解析や、神経変性疾患に関連するミスフォールドタンパク質の創薬標的探索を加速しています。

 

2026年2月10日、同社は新たなAIモデル「IsoDDE(Isomorphic Labs Drug Design Engine)」を発表しました。AlphaFold 3が構造予測に主眼を置いているのに対し、IsoDDEは創薬ワークフロー全体を統合的にカバーする計算基盤として設計されています。新規タンパク質-リガンド系への汎化能力ではAlphaFold 3に比べて精度を2倍以上向上させ、抗体-抗原相互作用の予測では2.3倍の改善を達成しました。

 

さらにIsoDDEは、物理ベースの自由エネルギー摂動法(FEP)を上回る結合親和性予測精度を、より低い計算コストで実現します。特筆すべきは、アミノ酸配列のみからリガンド結合可能なポケットを秒単位で同定する機能であり、実験的なフラグメントソーキングに匹敵する性能をin silicoで達成したと報告されています。IsoDDEの登場により、老化関連タンパク質のdruggability評価が加速し、ロンジェビティをターゲットとする創薬の可能性が大きく広がりそうです。

 

Calico Labs—10年の軌跡と新たな方向性

Alphabet傘下の米Calico Labsは、2025年11月に同AbbVieとの10年間のパートナーシップを終了しました。提携期間中に5つの新薬候補を臨床段階に進め、前臨床にも約20の候補を蓄積しましたが、筋萎縮性側索硬化症治療薬(ALS)に対する統合ストレス応答(ISR)阻害薬fosigotifator(一般名)の開発では困難に直面しました。Calico Labsは新たに中国のMabwell Bioscienceと提携(契約総額最大5.71億ドル)し、抗IL-11抗体を導入。老化関連疾患への新たなアプローチを模索しています。米Broad Instituteとの共同研究も、加齢性神経変性にフォーカスを拡大しました。

 

BioAge Labs—P2試験中止の教訓

米BioAge Labsは2024年12月、肥満治療薬azelaprag(一般名)のP2試験を安全性を理由に中止しました。55歳以上を対象に、チルゼパチドとの併用で筋肉を維持しつつ体重減少を図るという高齢者向けのコンセプトは注目を集めましたが、試験中止で同社の株価は76%下落。ロンジェビティ領域における開発リスクの高さをあらためて印象付けました。同社はロンジェビティパイプラインの再構築を進めています。

 

BioAge Labsの別の新薬候補「BGE-105」(apelin受容体アゴニスト)は、加齢に伴う筋肉量減少(サルコペニア)を対象に開発が進められており、老化の機能的側面に直接アプローチする新薬候補として引き続き注目に値します。

 

【主なAI創薬企業のロンジェビティ関連パイプライン】〈社名/主要プログラム/標的・機序/開発段階/備考〉Insilico Medicine/INS018_055(rentosertib)/TNIK阻害(セノモルフィック)/P2a/2b/中国P2a完了・米国P2進行中|Isomorphic Labs/IsoDDE/AI設計化合物/オンコロジー/免疫/前臨床~P1/IsoDDE発表(26年2月) 6億ドル調達(25年6月)|Calico Labs/抗IL-11抗体ほか/ISR/IL-11経路/前臨床~臨床/AbbVie提携終了 Mabwell提携開始|Juvenescence/5候補/認知/心代謝/免疫/細胞修復/P1/2/Ro5社買収でAI基盤強化|BioAge Labs/azelaprag(中止)/筋肉維持+体重減少/P2中止/安全性を理由に24年にP2中止

 

ロンジェビティ創薬固有のデータ課題

AIとマルチオミクスの技術的進歩は目覚ましいものの、ロンジェビティ領域にはこれらが十分な力を発揮するのを阻む固有の課題があります。

 

(1) 老化は適応症ではない

連載の1回目でも触れましたが、この領域の最大の課題は、老化そのものが治療対象となる疾患として認められていないことです。WHO(世界保健機関)の国際疾病分類(ICD)でも、老化は治療可能な疾患としてカテゴライズされていません。このため、ロンジェビティ創薬は「老化関連疾患〇〇」の治療薬として個別の疾患ごとに適応を取得せざるを得ず、老化プロセス全体をターゲットとする包括的なアプローチの臨床開発は困難なのが現状です。

 

この壁に挑む試みとして、前回(第4回)の記事でも触れたTAME(Targeting Aging with Metformin)試験が挙げられます。老化が治療可能であるという概念実証を目指すこの試験は、推定4500万〜7000万ドルの費用に対して資金難が続いており、メトホルミンがジェネリック薬であるがゆえに製薬企業がスポンサーにつかないという問題を抱えています。TAME試験の行方はロンジェビティ創薬全体の規制パスに大きな影響を及ぼすため、引き続き注視が必要です。

 

(2) エンドポイントとバイオマーカーの未確立

老化の臨床試験を設計する上でもう1つの壁は、コンセンサスの得られたエンドポイントとバイオマーカーが存在しないことです。エピジェネティック・クロック(Horvath、GrimAge、PhenoAge、DunedinPACEなど)が広く研究されてきたが、2025年の科学誌「Nature Communications」の報告では、14種のクロックについて1万8859人を対象に比較・検討した結果、どれが実際のヘルススパン改善を最も正確に反映するかは依然不明とされました。エピジェネティック・クロックが抱える根本的な限界は、DNAメチル化という上流の変化を捉えているに過ぎず、臓器や細胞の機能的な状態、すなわち創薬が本来ターゲットとすべき「表現型としての老化」を直接的には測定していない点にあります。

 

この限界を乗り越えるのに役立つかもしれないのが、今回の記事で触れたプロテオミック・クロックです。タンパク質は細胞機能の直接的な担い手であり、プロテオミクスに基づくバイオマーカーは、臓器ごとの機能的老化をより的確に捕捉できます。GLP-1受容体作動薬セマグルチドのP2b試験(HIV脂肪異栄養症が対象)では、11の臓器系エピジェネティック・クロックが一貫して改善を示しましたが、こうした知見も、将来的にはプロテオミック・クロックとあわせて評価することで「メチル化の変化が実際に臓器機能の改善を伴っているか」を検証することが不可欠になるでしょう。

 

また、2025年2月に発表された「STAMINA研究」では、セノリティクス(ダサチニブ+ケルセチン)によるMoCA認知スコアの改善がTNF-αとPDL-2の2つのタンパク質バイオマーカーの低下と相関しており、機能的アウトカムとプロテオームの変動が直結することを示唆しています。

 

(3) 長期追跡と試験デザインの壁

老化は数十年かけて進む緩徐な過程であり、介入効果を実証するには従来型の臨床試験よりはるかに長い追跡期間が必要です。TAME試験は6年におよびますが、これでさえ真のヘルススパン延長を証明するには短い可能性があります。この課題に対しては、AIを活用したサロゲートエンドポイントの開発や、老化関連疾患を横断的に評価するバスケット試験デザインの検討が進んでいます。

 

2024年に始まったBiomarkers of Aging Challengeは、3つのフェーズ(暦年齢予測、死亡予測、多疾患罹患予測)を通じてバイオマーカーの標準化と検証を進める国際的な取り組みで、この分野のデータインフラ整備に向けた重要な一歩と言えます。

 

規制上の観点では、これらのバイオマーカーがサロゲートエンドポイントとして規制当局に認められるかがカギとなります。サロゲートエンドポイントとは、最終的な臨床アウトカム(死亡率や疾患発症)を直接測定する代わりに、それらと合理的に関連する中間指標を用いて薬剤の有効性を評価する手法です。エピジェネティック・クロックやプロテオミック・クロックがサロゲートエンドポイントとして規制上の地位を獲得することができれば、ロンジェビティ創薬の臨床試験期間を大幅に短縮できる可能性があります。

 

技術と規制の「二重螺旋」

最後にもう1つ、もう一つ重要な技術に触れておきたいと思います。それは、シングルセル基盤モデル(single-cell foundation model)です。scGPT(3300万細胞で事前学習)やscPRINT-2(16生物種・3.5億細胞で事前学習)といったモデルは、遺伝子を「単語」、細胞を「文」として扱い、細胞型予測、データ補正、薬剤応答シミュレーションを可能にします。

 

老化研究への応用としては、シングルセル解像度での老化シグネチャー同定、セノリティクスに対する細胞集団ごとの感受性予測、細胞レベルでのリプログラミング効果のモニタリングなどが期待されます。もっとも、希少細胞型の扱いやデータ品質の問題は残されており、臨床応用にはなお多くの技術的ハードルがあります。

 

AI・マルチオミクスはロンジェビティ創薬のターゲット探索能力を飛躍的に拡張しつつあります。Insilico MedicineのTNIK阻害薬に見られるように、AIが老化細胞の制御という新たな標的を見出す事例は今後も増えるでしょう。しかし、いくら優れたターゲットを見出しても、老化が適応症として認められない規制環境、標準化されたエンドポイントの不在、長期追跡の困難さという三重の壁が臨床開発を阻みます。

 

技術の進歩と規制の整備は、あたかもDNAの二重螺旋のように互いに絡み合っています。マルチオミクスの臨床実装が、この構造を前進させる大きな転換点となるでしょう。

 

次回は「健康寿命は誰が買うのか」をテーマに、ロンジェビティ創薬とヘルスケアの接点と、日本企業の参入可能性を探ります。

 

増井慶太(ますい・けいた)ロンジェビティ特化型VC(ベンチャーキャピタル)ASAGI Labs Ventures合同会社Managing Partner、BAIOX株式会社CEO、インダストリアルドライブ合同会社CEO。ヘルスケアやライフサイエンス領域の投資運営、M&A仲介、カンパニー・クリエーション、事業運営に従事。東京大教養学部卒業後、米系経営戦略コンサルティング企業、欧州製薬企業などを経て現職。
X:@keita_masui
LinkedIn:https://www.linkedin.com/in/keita-masui/
ウェブサイト:https://alv.vc/

 

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