
(写真:ロイター)
2027年度の薬価中間年改定の議論が本格化しようとするなか、米トランプ政権の薬価政策の日本への影響が懸念されています。トランプ氏が掲げる「最恵国待遇(MFN)」は日本にどう波及するのか。元バイエル薬品会長で米国の医薬品ビジネスや薬価政策に詳しい経営コンサルタントの栄木憲和氏に話を聞きました。
MFNは「政策コンセプト」
――トランプ政権の薬価政策をどのように見ていますか。
米国における医薬品価格の問題は、トランプ政権に限定して考えるべきではありません。政権が共和党であろうと民主党になろうと、薬価政策は米国にとって最優先の課題です。
米国の医薬品市場は自由価格制を基本とし、製薬企業が価格を設定できます。しかし近年は、バイデン政権のインフレーション・リダクション・アクト(インフレ抑制法、IRA)によってメディケア(高齢者・障害者向け公的医療保険)の価格交渉が始まり、トランプ政権がMFN価格を掲げるなど、公的制度による価格への介入が強まっています。
背景の1つに挙げられるのが、メディケアの財政問題です。2026年のメディケア信託基金年次報告書によると、パートA(入院医療保険)を支える信託基金の積立金は33年に枯渇すると予測されています。パートB(外来医療保険)やパートD(処方薬保険)も支出の増加が続いており、薬剤費抑制は今後も党派を超えて重要な課題になると考えます。
IRAに基づくメディケアの価格交渉は、支出額の大きい医薬品の価格引き下げを目的としていますが、日本の市場拡大再算定とは制度設計が異なります。IRAでは、上市後一定期間が経った高支出の単一供給元医薬品(後発医薬品・バイオシミラーなどの競合品がない医薬品)を対象に、最大公正価格(MFP)を設定します。結果として、後発品・バイオシミラーによる競争がまだ生じていない大型製品について、特許保護期間中であっても公的制度による価格引き下げが生じ得るもので、製薬企業の製品ライフサイクルとNPV(正味現在価値=上市後の収益期待値)に大きな影響を与えます。IRAに基づく価格交渉の対象品目は毎年、段階的に拡大していきます。
――MFNの概要を解説していただけますか。
MFNは1つの制度ではなく、トランプ政権が掲げる国際的な医薬品価格差是正の政策コンセプトとして捉えるのが適切です。その実現手段として、▽主要製薬企業との個別合意▽公的医療保険を管轄するCMSイノベーションセンターが行う価格抑制モデル「GLOBE」「GUARD」▽関税や米国内製造促進策――などが並行して進められています。

このように、MFNは単に「海外の低い薬価を米国に持ち込む政策」ではなく、企業との個別合意に基づく価格引き下げ、CMSの支払いモデルを活用した価格抑制、関税・国内投資促進を組み合わせた政策群として見る必要があります。価格を引き下げつつ、同時に米国の医薬品産業と国内製造基盤を強化しようとしている点が特徴です。
トランプ政権は、グローバル製薬企業17社と個別に価格引き下げ・アクセス改善策について合意していますが、合意内容は企業ごとに異なり、必ずしも詳細が全面的に開示されているわけではありません。メディケイド(低所得者向け公的医療保険)やTrumpRx(政府が開設した、製薬企業の割引価格による直接購入などにつなぐプラットフォーム)などが重要な要素ですが、こうした個別合意に基づく取り組みと、法令・CMSモデルに基づく制度上の義務は区別して考える必要があります。
MFNは単に医薬品の価格を下げるだけの政策ではありません。「国際的に低い日本の価格が参照される」という一面的なとらえ方ではなく、製薬企業との個別合意、GLOBE/GUARD、関税・米国内製造促進を含む米国の薬価・産業政策全体として見る必要があります。
法的根拠ない「個別合意」と法的根拠に基づく「GLOBE/GUARD」
――GLOBE/GUARDについてもう少し詳しく教えてください。
GLOBE/GUARDは、CMSが処方薬の価格を動かす具体的な仕組みとして提案しているものです。GLOBE/GUARDそのものは法律ではなく、社会保障法(Social Security Act)の第1115A条を根拠に、強制参加型のモデルとして設計されています。米国の価格が国際的なベンチマークを上回った場合、製薬企業にリベートを義務付けることで、薬剤費の削減を狙っています。
GLOBEはメディケア・パートBの一定の医師投与薬、GUARDはメディケア・パートDの一定の薬局調剤薬が対象です。いずれも全米からランダムに選定された25%の地域で実施されますが、ここでいう25%は地域数や面積ではなく、GLOBEではパートB受給者、GUARDではパートD加入者の約25%を意味します。IRAの最大公正価格など既存の薬価制度との重複を調整するため、対象薬には適格要件と除外規定が設けられています。
GLOBE/GUARDでは、すべてのメディケア薬剤に一律に国際価格が適用されるわけではありません。単純に19カ国の最安値をそのまま米国価格にするという制度ではなく、経済的に比較可能な国の価格を参照してベンチマークを算定する仕組みとして理解するのが適切です。
日本の薬価が国際価格比較のなかで米国の政策に影響を及ぼし得るというのは重要な論点です。26年8月時点では、GLOBE/GUARDはまだ最終規則に至っておらず、規則案公表の段階です。通商法301条などを通じた薬価・市場アクセスへの圧力が日本に及ぶかについても、引き続き注視が必要です。
気になるのは、政権と製薬企業の個別合意とGLOBE/GUARDの関係です。個別合意があることだけをもってGLOBE/GUARDの適用が除外されるとは限らず、最終的にはCMSの規則と各社・各製品の適格要件を確認する必要があります。提案上では、GLOBEは今年10月1日、GUARDは来年1月1日の開始が予定されています。
MFNでドラッグ・ロス「単純化された議論」
――MFNをめぐっては、日本の安い薬価に引きずられて米国価格が下がるのを避けたい製薬企業が日本での新薬発売を控え、ドラッグ・ロスが悪化するのではないかと指摘されています。
MFNと薬価制度を絡めた業界の主張や報道は、非常に単純化されています。日本の薬価が参照されることだけで、ドラッグ・ロスが拡大するわけではないでしょう。売り上げの一定以上を日本が占める大手外資系製薬企業が、簡単に日本での新薬上市をあきらめるとは考えにくい。外資系企業の中には、全体の大きな割合の利益を日本で生み出している企業もあり、そういう市場を易々と手放すとは思えません。
日本は製薬企業にとって魅力のある市場だと思います。日本の製薬企業の場合、国内市場だけを見ると営業利益率はおおむね10~20%です。外資系企業の日本法人は6~8%程度ですが、これにはさまざまな要素が反映されており、この数字だけを見て「日本は儲からない」と判断するのは適切ではありません。
最近、複数の外資系企業が日本の製造拠点への投資を表明しています。これは、日本市場や日本の供給基盤を重視していることの表れでもあります。市場にまったく魅力がないのであれば、大型の投資は正当化しにくいはずです。
24年9月、私は米国製薬企業などの経営者11人に日本のドラッグ・ロスの原因について聞き取り調査を行いました。その結果、最も多く挙がったのは薬事制度のわかりにくさでした。少なくとも私の調査では、「薬価が下がるから日本で新薬を上市する意味がない」と答えたのは11人中4人にとどまります。ドラッグ・ロスは米国やドイツにも存在します。今後もなくなることはないでしょう。

日本市場は魅力的
――日本の薬価制度には批判もありますが、市場としてのメリットはどこにありますか。
日本の薬価制度を米国のロジックだけに基づいて評価するのは適切ではありません。日本には大きな強みがあります。
1つは、承認された新薬が薬価収載され、保険診療を通じて患者に届くまでのスピードが速いことです。国民皆保険の下で全国の患者がアクセスできる可能性があることも大きなメリットです。
米国では新薬を発売しても、保険者やPBM(薬剤給付管理会社)のフォーミュラリ、事前承認、段階的治療などによって実際のアクセスまで時間を要する場合があります。上市価格だけでなく、治療を受けられるまでの時間も市場価値を左右する重要な要素です。
こうした要素まで含めてNPVを計算すると、日本市場の魅力はかなり高くなります。もちろん、すべての製品がそうだというわけではありません。「キイトルーダ」や「オプジーボ」のような大型抗がん剤では、米国の薬価が日本の数倍になることがあります。これらの薬剤は、いくら日本の保険償還が速くても米国市場の収益性には勝てません。
一方、とりわけ高額な希少疾患用医薬品では、承認後の保険アクセスの速さ、全国的なアクセス、治療継続性などを含めて評価すると、日本市場のNPV上の優位性が現れるケースがあります。単価の高低で優劣を競う時代は終わり、NPVを高める制度設計が日本市場の相対的な魅力度に関わってくるでしょう。日本市場は、薬価の絶対水準だけでは測れない、質の高いキャッシュフローを生み出し得る市場なのです。今後はぜひとも、NPVについての議論を深めてほしいですね。
イノベーティブな新薬には高薬価を
――薬価制度そのものは、どう改革していくべきでしょうか。
薬価制度改革は継続すべきです。特許期間中の薬価の維持は、条件を付けずに完全実施することが必要です。市場拡大再算定については、制度そのものの問題より当初の市場規模予測をどうするかが重要です。
費用対効果評価も単に薬価を下げるためだけに使うのではなく、医療費削減効果を明確に示したものは価値をより高く評価する仕組みがあってよいでしょう。たとえば、抗凝固薬「イグザレルト」は、非弁膜症性心房細動患者における脳卒中・全身性塞栓症のリスク低減に用いられます。薬剤費だけでなく、こうした重大なイベントを回避することによる医療費や社会的負担の削減まで含めて評価することが重要です。今後は、中長期的な医療費全体への効果を評価し、薬価に反映できる制度にしていくべきだと思います。
本筋からは外れますが、再生医療等製品の条件・期限付き承認制度については、制度の運用と本承認への移行を慎重に検証する必要があると考えています。米国には迅速承認制度や再生医療先進治療(RMAT)指定など、重篤疾患に対する再生医療製品を迅速に開発・審査する別の枠組みがあります。日米の制度は、目的に共通点があっても仕組みは異なるため、単純比較は避けるべきです。
MFNとの関連が取りざたされる新薬の薬価算定については、真にイノベーティブな新薬はもっと価格を高く設定していいでしょう。場合によっては米国並み、それ以上でもいいのではないでしょうか。類似薬効比較方式そのものを見直す、あるいは画期的新薬については適用しないことも選択肢だと思います。
同じ領域で2番手、3番手に上市される新薬が出てきても、同じような価格はつけない。画期的な新薬には後発の新薬の2倍、3倍の価格をつけるくらいのメリハリがあっていい。そうすれば製薬企業も、単なる追随型の開発ではなく、ファーストインクラスや、臨床的に明確な付加価値を持つベストインクラスを目指すインセンティブが強くなると思います。

栄木憲和氏
米国の薬価抑制策は続く
――日本政府や企業・団体は、MFNにどう対応しようとしていますか。
日本政府がトランプ政権と水面下でどういった交渉を行っているか不明ですが、一枚岩で対応している状況ではなさそうです。今後は、関連省庁や業界団体が個々に米国と対峙するより、まず日本としての全体的な戦略を準備するべきです。たとえば、ドイツがMFNを受け入れた場合に日本はどう対応すべきなのか。複数のシナリオを用意しておく必要があります。現在は準備不足だと感じています。
日本製薬工業協会が米国のMFN薬価政策が医薬品産業に与える影響について、MFNで新薬の多くが国内で販売されなくなれば、2040年時点で産業全体の生み出す付加価値が年4.2兆円失われるとした試算については疑問もあります。基準となる価格レベルや、MFNのどの項目と比較しているのかなど、根拠をより明確にすべきです。
――トランプ大統領への支持率が低下しています。秋の中間選挙の結果はMFN政策の行方を左右しますか。
トランプ氏の支持率や中間選挙の結果は、個々の政策の進め方や議会運営に影響します。ただし、薬価負担の軽減は共和党だけの課題ではなく、米国政府の重要政策です。したがって、MFNという名称や具体的な制度設計が変わる可能性はあっても、薬価抑制の圧力そのものがなくなるとは考えにくいでしょう。
民主党はIRAに基づくメディケア医薬品価格交渉プログラムを重視しています。IRAは「売り上げが伸びたから価格を下げる」という日本の市場拡大再算定とは異なり、一定条件を満たすメディケアの高支出を選定して価格を下げる仕組みです。アプローチは違いますが、特許期間中の大型製品の価格に介入が及ぶという点で、製薬企業の経営への影響は大きいと思います。メディケアの財政を考えても、こうした薬価抑制政策は今後も継続すると見ています。
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